高等科寄宿舎の分離

 学習院の寮制度は、大正十二年(一九二三)四月、全寮制から希望入寮生に改められたが、そのさい高等科学生の寄宿舎を中等科学生の寄宿舎と分離して構外に新築する計画がたてられた。この計画に基づいて、同月以降高等科寄宿舎は当分の間閉鎖ということになり、六月には豊多摩群落台村大字下落合(大正十三年落合町下落合、現在新宿区下落合)の土地二、七三〇坪余(約九、〇二四平方㍍)の引渡しを帝室林野局から受けたものである。しかし、その直後の九月に関東大震災があり、高等科寄宿舎分離計画は一頓挫をきたした。
 このため、やむなく別寮の階下と院長官舎の階上・官舎の一部の三か所に分宿という形で大正十三年一月から高等科寄宿舎を再開し、体勢十五年四月からは、第三寮を高等科の寮とした。その間、福原院長を中心として、大震災で被害を受けた教育施設の再建や充実が計画されており、これとならんでふたたび下落合に寄宿舎を建設する案が検討され、その結果、当初の予定よりやや遅れたが、高等科専用の寄宿舎が実現されることになった。

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