開寮

昭和二十七年六月、寮生の移転に先立って、安部院長は文学部の新木正之介教授に昭和寮舎監を委嘱した。新木教授の舎監就任内定を知った寮生は、会合を開いて討議の上、舎監の必要なしと結論し、代表二名の学生が新木教授を訪ね、舎監辞退を勧告し、また院長に会ってその旨を述べた。しかし院長の考えは動かなかった。
 昭和二十七年九月初旬、寮生三一名が新寮舎に移り、新木教授も家族とともに舎監宿舎に入った。舎監のほかに寮職員は、炊事員・衛生婦および臨時雇の炊事員の三名であった。
 寮生活は寮生による自治制を建前とした。全員の投票によって選ばれた委員長のもとに、委員長に委嘱する総務・会計・食事・風紀の各委員がおかれた。
 寮生の負担をするのは、寮費(運動具代・文房具代・電話使用料金等)および食費で、営繕費、職員の給料、電気・水道・ガス料金、電話の基本料金等は、すべて学習院が負担している。
 旧寮から移ってきた寮生のほかに新たに一八名の寮生が学内で募集され、面接選考を経て入寮した。選考委員は寮の委員長および委員長の委嘱する三名の寮生、学生部長、舎監および学生部長の委嘱する二名の教員、合計八名から成っていた。寮生の在寮年限は二か年と定められ、昭和二十八年以降は、毎年四月、収容人員五〇名のおよそ半数を学内で募集・選考し、なるべく一・二年次の学生を多く採るようにして入寮生を決定している。その後も選考方法はこれと同じである。

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