「昭和寮と私」 -木下恵裕  

私は昭和三十五年政経学部政治学科卒業。
従って昭和寮にお世話になったのは、卒業の四年生と三年生の二年間になります。
入寮に際し面接試験があり、その時の試験官の質問を今でも鮮明に記憶しています。
その質問とは「天皇制をどのように考えるか」でした。
日本国憲法に象徴としての天皇の役割が条文化されておりますが、心情的にも、歴史的にも、日本の政治文化の中心として天皇制を肯定していましたので違和感はありませんでした。
でも学習院と天皇家とのかかわりを、改めて認識したしだいです。
入寮して同室は剣持さんでした。航空部に属し、手製の大きなステレオで音楽を楽しんでいました。手製ですが、市販のものより音質が格段とよかったです。
彼は勉強家で、二人の部屋は遅くまで明かりが点いていたものです。
実は私も法学研究会に属し、司法試験を目指していました。
このころ大学の輔仁会の審議委員に研究会より選出されました。それも昭和寮に以前いた高田氏が部屋に何度も来て頼むため、承諾したものです。
その輔仁会で、あるとき騒動が起こり、委員長の交代劇がなされました。その後釜に奇しくも私が推薦され、就任することになったのです。それからが忙しい学生生活のはじまりでした。(勉強二の次)
大学の輔仁会の委員長は学習院文化祭の中央委員長となり、大学から初等科まで、文化祭を主宰することになっています。
十一月三日に向けて、文化祭の準備に追われることとなりました。
文化祭のカタログの広告資金集め、各学部、各文化部・運動部・予算の割り付け等。
東宮御所を訪問し、皇太子殿下の文化祭への御出かけをお願いしたりしました。
幣原氏の紹介で吉田茂元総理が講演をすることに決まりました。また、美智子さまとのご成婚前、皇太子殿下と吉田茂元総理のご訪問が同時に文化祭でなされることになり、報道関係者に大いに配慮したものです。
寮と大学を行き来の三年が過ぎ、四年生も卒業委員会で、アルバム作りをしていましたが、少しゆとりができ、寮生活を楽しみました。
寮へは元寮生またその友人たちの出入りなどにより、交流の輪が広がっていきました。
卒業後は、トヨタ自動車の販売を三十五年あまりして、定年退職しました。
退職後は、手始めに四国遍路八十八か所を歩いて四十三日で回りました。人生の区切りをつけるためです。
現在は、山歩き、俳句三昧です。最近、句集「旅愁」をだしました。ご希望の方には贈呈いたします。

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