昭和寮と私 -安慶田 久圀(旧姓 宮城)

昭和46年2月、合格発表で受験番号222を見て、これからの自分の人生に身震いした事を鮮烈に思い出します。
 学生部の紹介で、目白近くの鬼子母神に三畳一間の廉価な下宿先を見つけ手付金を払ったのち、昭和寮へ入寮が決定し、安堵しました。
 母親と一緒に鈴木のおっちゃんへ挨拶した後、102号室を一生懸命拭き掃除してくれた母が印象に残っています。
 寮生活で一番楽しかったのは、特に先輩たちとの交流でした。同期だとお互い遠慮がちに接するものですが、先輩は自分の思った事を直線的に話してくれたので、初めて沖縄からパスポートで東京へ出た私にとっては、非常に判り易く、楽しいものでした。
 新寮生、退寮生の歓送迎コンパで初めて大量の酒を飲みました。高校の卒業式のあとのカクテルパーティーと違って、次々と諸先輩方からコップ一杯の日本酒を注がれ、一気に飲み干し、途中トイレに行き口の中に指を突っ込んで吐き、また食堂へ戻って飲み、朝を迎えヨット部の堀田先輩と二人きりになったのが印象的でした。
 寮祭は一年で最も楽しく且つ昭和寮の心意気を学内外にアピールする祭りで、雨の中黒ん坊の神輿の周りに猛者たちの湯気が上り立ち、見事なものでした。この頃には同級生の皆とも気心が知れ、大酒を飲んでは互いの故郷を語ったものでした。
 2年生頃からアルバイトをするようになり、ビルの外装塗装工事、深夜の競馬新聞印刷、ゴルフトーナメントの運営スタッフ、駐車場係員等を寮の同級生や後輩たちと行い、その中で世の中の仕組みを何となく判るようになりました。アルバイトにかまけた結果、大学は5年間在籍しました。
寮での2年間、退寮後の3年間寮のおじさん、おばさんには大変お世話になりました。「沖縄さん」と呼ばれ、いろいろ可愛いがってもらいました。
 私にとって昭和寮は学習院大学そのものでした。卒業後も時々寮へ顔を出し、寮生たちと目白で酒を飲みました。廃寮となった今、昭和寮OB会で先輩たち、同期、後輩たちと会えるのは嬉しい限りです。
現在沖縄で小さな会社をやっておりますが、昭和寮の皆さんが訪沖される際はご一報下さい。一緒にゴルフをしたり泡盛を飲んだりしながら、寮時代の思い出を語りたいと思います。
51年 政治卒 

 

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