昭和寮生へ -安倍能成

昭和寮生へ -安倍能成(1956年5月19日 奈良にて)-

昭和寮生は数からいへば、大たい五十人だから先づ頃合ひである。設備からいへば、名は同じではあるが、前代の学習院花やかだった頃の寮に比べては雲泥の相違である。
s290002.jpgしかし、日本中に家のないものも、狭い汚い一室に沢山の家族が群居するものも、まだ数多い今日、往時の広壮な西洋建築の一室を一人で使用するが如きことは、社会問題に関心の多い現昭和寮生の快しとするところではあるまい。
昭和寮が設備の貧弱と食事のカロリーの乏しさをもってしても、なお入寮希望者の一部分の希望しか充たしえないところを以て見れば、それが学習院大学生にとって必要だといふことは争はれない。
自分といふものの存在は否定できない。他人は自分の痛さを直接感じてはくれない。他人が眠を貪っていても自分の睡眠不足は補へない。他人に飯を食ってもらっても自分の空腹は凌がれない。人々が先ず自分の欲望を充たそうとするのは自然である。
しかし、人間は人間という詞の示す如く、一人では生きられないと同時に自分の最も痛切に欲求するものが、同時にもっとも社会的に痛切な問題でも最も重大な問題でもある。例えば肉体の苦痛をいやす医療問題、睡眠をーそれだけではないがー守るための住宅問題、腹を満たす為の食糧問題が、いつの社会でも痛切重要な問題であることを思うがよい。
人間は自分の苦痛を通じて、自分の睡眠不足を通じて、自分の空腹を通じて、他人の其等に共感する心を持って居る。
ここに人間の人間たる所以がある。
s290003.jpgマルクス主義その他の影響によって、現代の青年は我々の青年時代よりも、遥かに多く社会的関心を持っているといはれるが、この社会が自分の利益を充たす手段としてのみ、考えられるやうな関心の持ちかたでは、社会もよくならず、個人もよくならず、人間生活はよくならない。昭和寮生が自分の持つ社会的関心を、先ず昭和寮の生活に於いて、日々行住座臥に実践するという心がけを持つことを望む。
かくして昭和寮は諸君の道場となると共に、青春の楽しい友情の思い出を残すであろう。

(1956年5月19日 奈良にて)
―学習院大学 学長―
(不死鳥創刊号によせて)

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