「私と昭和寮」 -土橋英樹

私が昭和寮に入ったのは、入学と同時三十五年の春だった。まだ木造の逆「コ」の字形の建物であった。南寮、北寮、その一、二階に分かれていた。同時入寮の新一年生は十二名。札幌出身の自分を含め九州まで、全国各地から集まり、四年生までの先輩を含めた集団生活が始まった。
 三十五年安保で、他大学は勿論、学習院でもそれなりの活動はしていたが、個人個人は別として、寮内はまったく関係なく、楽しい生活を送っていた。夏休み中に隣に建築中だったコンクリート作りの新寮に引っ越しとなったが、やはり木造の旧寮の方が寮生間の交流は深かったように思えた・・・。
 四月二十九日の昭和天皇誕生日に行われた院内ソフトボール大会、ダンスパーティー、バス旅行などを通じ、寮生の絆は深くなり、そして秋の寮祭で、更に確固たるものに深まっていったものである。
 寮生の多くが運動部に所属していたので、われわれの時代でも、野球、ソフトボール、戸田でのボートなどの院内大会で優勝。昭和寮名を院内に馳せたものである。勿論、試験近くになると、机に真面目に向かう寮生も多く、さすがに全国の名門校出身者の集まりは違う・・・と感心したものでもある。一年生から四年生までの五十人が、よくもまあ、あんなにうまく溶け合って生活していたものだと、今、つくづくと思うところである。
 私には、昭和寮に対して深い思い入れがあった。中三の時、中体連の野球大会一回戦で敗れ、勉強にもその他のことにも余り身が入らず、悶々と日々を過ごしていた。そんな時、すでに学習院大学生として、昭和寮生活を大いに楽しんでいた兄より誘いがあり、上京。昭和寮に一週間ばかり寄宿したことがあった。生憎、夏休み中のこととて、寮生はあまり多くなかったが、先輩・後輩間のけじめは厳としてあるものの、実の兄弟のような和気あいあいとした楽しい人間関係の存在を肌で感じた。その時、将来兄のように学習院大学に進学、このような寮生活を送ってみたいと思った。ゆえに、昭和三十五年春、学習院大学合格、即、昭和寮入寮を希望した。
 過日、大学卒業三十周年記念の集まりがあった。その際、各学部、運動部ごとで集まり歓談した後、二次会となった。二次会には、当然のことながら、昭和寮出身の同期生全員出席集合。懐旧談に花を咲かせ、しばしの間、あの青春時代に逆戻り。同じ釜の飯を食い、寝食を共に過ごした友とのきずなの深さを再確認した次第である。
 そして、今にしてなお、ともに青春を過ごした仲間と、その昭和寮時代に大満足している次第である。
(昭和35年4月~37年3月在寮)

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