このようにして、旧来の慣習にとらわれない、新しい性格の昭和寮が始まり、寮生たちは鍛錬的傾向の強い生活を送った。大詔奉戴日には明治神宮の黎明参拝が行われ、また日曜日も防備訓練などに費やされた。しかし、このころから食糧事情が逼迫し、寮生の体位を維持するのに必要な食糧の入手が困難となったので、昭和十九年三月十九日、昭和寮は他日を期して一時閉鎖するのやむなきに至った。
建物の管理上、西崎舎監が留任し、第一寮に地方出身者など少数学生を収容した。第二・三・四寮には家族を疎開させた教職員や、戦災をうけた教職員とその家族が入居した。そして、戦局が悪化し高等科の地方動員などがあった一時期、昭和寮は無人となった。
終戦後、昭和寮の四棟の寮舎は教職員と宿舎となり、また本館は昭和二十四年四月から学習院女子教養学園(第三編第一章参照)の校舎として使用されたが、昭和二十七年、大学の教育・研究施設建築資金を得るため、中央商事に売却され、現在は日立製作所の社員クラブになっている。
学習院百年史 第二編(全三編)
昭和五十五年三月三十一日発行
編集 学習院百年史編纂委員会
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