昭和寮の生活

昭和寮では、寮生一人に一室が割当てられた。共同の寮生活においてもプライヴァシーを尊重すべきであるとの配慮によるもので、当時に高等学校の寮としては珍しいことであった。各寮から学期ごとに選出される二名ずつの寮務委員は、日誌によって各寮の動静を舎監に報告するとともに、毎週寮舎監出席のもとに寮務委員会を開いて、寮の運営や事業計画を協議し、寮祭・茶話会・講演会・父兄会などの日程を決定した。池田教授の調査に基づき、学生の個性と人格を尊重し信頼するというイギリスの寮制度の精神を参考して、寮生活の基本をその自治に委ねたのである。
 昭和寮には個室の他に共同の部室として読書室・娯楽室・談話室があり、読書室には図書が、娯楽室にはレコードなどが備え付けられ、談話室には開寮当初は業者を入れて軽食がとれるようになっていた。この三室の運営と会計は学生に委ねられており、四寮の寮務委員がそれぞれの主任を分担した。
 また、時には院長や高等科長を迎えて合同の会食や茶話会を催した。松平恒雄宮内大臣・武者小路公共宗秩寮総裁も寮制度の隆替に大いに関心を示し、来寮して寮生の会食したこともあった。そのほか木戸幸一内務大臣・近衛文麿貴族院議長・吉田茂特命全権大使等の卒業生も寮に訪れて寮生を激励するところがあり、寮生もまた著名な先輩との交流を通して、将来の責任を自覚するなど多くの刺戟を受けたようである。昭和一四年六月に来寮した木戸内務大臣は、院長以下寮生と会長の席上で、「興亜の礎石となるべき覚悟」を寮生に促している。
 昭和寮は、寮生だけでなく、寮生以外の学生をも含めての会合に利用されることもあった。そのような会合の一つとして、毎年五、六月ごろ、東京帝国大学等の各学部に在学する卒業生と高等科三年生との連絡会が開かれた。桜友会学生部の主催するこの連絡会は、法経学部連絡会・文学部連絡会・理工学部連絡会などに分けて行われ、それぞれの学部の特色や受験準備の心構え、あるいは苦心談を先輩が披露し、後輩の意欲をかき立てたのである。このほか、運動関係の各部が、試合の前後のミーティングや祝勝会に寮の娯楽室を使うことも多かった。

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