旧昭和寮時代(現在の日立クラブ)
旧昭和寮は、学習院大学が私立大学となる以前、宮内省の管轄下に設立された。
当時の寮は、英国の大学の学生寮をモデルとして、2730坪の高台(現日立クラブ)
に建坪八五〇余坪、総工費二十五万円の巨費を投じて建設された。現在の金額に直して十億円あまりになる。宮内省の昭和寮に対する力の入れようが分かって戴けると思う。その設備は豪勢なもので、当時の昭和寮を知る先輩によると、レコード音楽が流れる娯楽室、業者が入り軽食が可能な談話室、テニスコート二面、イタリア製のグランドピアノ、ダンスホールが在り、全員個室、食堂は地下の厨房からリフトで運ばれてくるというものであった。
また、時折、日本一流の著名人を招き、会食を楽しんだという。この旧寮舎は、一九二八年(昭和三年)四月に開寮され五十名前後が入寮した。
その後、この昭和寮は時代の煽りをうけ、一九四四年(昭和一九年)食糧事情悪化のため、閉鎖に追い込まれた。
旧昭和寮時代(1927年?44年)
- 昭和時代
- 1928年(昭和3年) 金融大恐慌 旧昭和寮の設立(現日立クラブ)
- 1930年(昭和5年) ロンドン軍縮会議
- 1931年(昭和6年) 満州事変おきる
- 1932年(昭和7年) 5.15事件
- 1933年(昭和8年) 国際連盟脱退
- 1935年(昭和10年) 美濃部達吉の天皇機関説
- 1936年(昭和11年) 2.26事件
- 1937年(昭和12年) 日中戦争はじまる
- 1939年(昭和14年) 第二次世界大戦
- 1941年(昭和16年) 太平洋戦争に突入
- 1944年(昭和18年) 17歳以上が兵役に
- 1945年(昭和20年) 原爆投下 旧昭和寮の閉鎖
- ポツダム宣言受託 戦災者が寮を占拠
- 1946年(昭和21年) 日本国憲法発布 女子栄養学園に敷地を貸す