高等科の寄宿舎完成に先だって、昭和三年三月七日には学習院寄宿舎規則が改正され、それまでなかった高等科の寄宿舎に関する規定が加えられた。同日、次のような高等科寄宿舎寮生心得が定められた。
高等科寄宿舎寮生心得
一、寮生ハ特ニ左ノ事項ヲ各守シ一般学生ノ模範タラムコトヲ期スヘシ
一、協同一致ノ精神ヲ養ヒ以テ寮風ノ振起ニ努力スヘシ
二、規律ヲ重ンシ修養ニ力メ以テ堅実剛毅ノ気風ヲ発揮スヘシ
三、礼儀ヲ重ンシ友誼ヲ敦ウシ同情ヲ以テ相接スヘシ
四、学業ヲ励ミ運動ニ力メ以テ心身ノ健全ナル発達ヲ期スヘシ
五、衛生ヲ重ンシ寮内ノ潔癖整頓ニ注意スヘシ
一、各寮ニ寮務委員若干名ヲ置キ寮生ノ内ヨリ互選セシム 寮務委員ハ寮内ノ秩序ヲ維持シ命令ノ伝達規則及規約ノ実行ヲ督励ス
高等科寄宿舎への入舎はそれまで同様希望者とされ、昭和三年四月から一年生一五名・二年生一四名・三年生二一名の計五〇名が新しい寄宿舎に入舎した。各寮への学生配分は、四寮いずれも各学年ほぼ同数となるように、抽籤によって決定された。学生の一人は入舎した時の感想を次のように述べている。
至る所に赤土が盛り上がってゐる、植込みの樹々が未だ支柱を突つ張つてゐる、卵色の明るい穏やかな壁が未だに少しも汚れてゐない、心なしか木々の緑も芝生の草も、庭径に敷かれた小砂利迄もが、皆生々と新鮮な香りを放つてゐる様である。伐り拓く者の喜びと緊張を感ずる前に我々は先づ、初めて手を通す者の快感と責任を感ぜしめられた。凡てが新しい、これからの生命を持つてゐるのだ。最初の寮風とその伝統、先づ第一の先例と将来への示範、凡で斯うした重大な使命が我々五十の双肩に懸つてゐる。やらう!僕達も男だ。先づその第一歩から、よしやそれが牛歩の遅足であろうとも、やる所迄やつて後止むのみ。(一壺天「昭和寮生活二年史(1)」、『昭和』昭和五年七月八日刊・第三号所載)
五月五日には開寮披露のため来賓を招き、院長主催の茶話会が催された。この新寮は、開寮の翌年昭和四年五月に、寮生たちの寮の名がほしいという希望により、福原院長によって昭和寮と命名された。